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24歳サラリーマンが、挑戦を続ける人たちの『イケてる』人生を掘り下げ、伝える、インタビューブログです。

-外資系金融機関勤務・照井秀芳-



-外資系金融機関・照井秀芳-

「頑張っても頑張らなくても
変わらない環境なら、人は頑張れない」

17年の1月から外資系金融機関の営業マンとして働く僕はこの言葉を人生の指針にしています。学生時代まで挑戦を続けてきたのに社会人になった途端、その挑戦を辞めてしまう人が多く、僕の周りにもたくさんいる。そんな人に僕の人生を少しだけ見てもらいたい。自分で言うのもなんですが、過酷な経験を重ねてきました。それでも前を向き、常に自分を高められる環境に身を置いてきたからこそ、今があると思っています。


照井 秀芳(てるい ひでよし)/1989年生まれ/「頑張れない環境に居たくない!」との信念から2度の転職を経て、17年1月から外資系金融機関の営業マンに。/全2回連載





-1年で〝クビ〟に-

就職活動では損保、保険、銀行などを中心に受けていましたが、兄の友人から「外資系のMRは給料が良い」と聞いて方向転換。片っ端から試験に臨み、数社から内定を勝ち取りました。そのなかで自分の条件に最も合うと感じた『日本イーライリリー』に入社し、社会人として、営業マンとしてのキャリアをスタートさせました。ただ...。結論から言うと1年でクビになります。車の免停中にも関わらず乗ってしまい、見つかって、営業職なのに免許失効。「辞めてくれ」と言われてしまいました。学生気分が抜けていなかったというか...。


成績は優秀でした。ただ、固定給ですから結果を出しても報酬は周りと大きく変わらない。つまり、努力しない人が自分と同等の給料をもらっている環境に、つまらなさを感じていました。 無職になってすぐに転職サービスのリクルートに登録したものの、あの辞め方ですから簡単には決まらない。書類選考で70社くらい落ちましたね。

そんな、手の打ちようのない状況の僕にも熱心に付き添ってくれる女性アドバイザーがいました。前職をクビになっているのに「年収500万以上欲しいです!」なんて言うと、普通は見切られるじゃないですか?しかも、最終面接までこぎつけたのに前日に飲み過ぎたせいで欠席とか本当にバカなことをしていたんです。実際に、他の転職サービスの人には呆れられました。


でもその方だけは「頑張りましょう!」とサポートし続けてくれた。そしてなんと、無職になって3ヶ月が経った時に「リクルートに来ませんか?」と言ってもらったんです。「本社は無理だけどグループ会社なら」と。何度も裏切って迷惑をかけてきたのに。断る理由なんてありません。即答して、13年の8月に「リクルートメディカルキャリア』に入社しました。




-2社目-

医療職のエージェントと病院のコンサルティングが主な仕事でした。医療知識は持っていたしベンチャー気質の会社だから楽しかった。同僚には、前職で結果を残してきた優秀な人材が多くてやりがいも感じていました。ただ...。自慢じゃないですが、常にノルマは達成していて、すぐに成績トップになり、次第に目標、やりがいが薄れていきました。


営業マンとして取材をうけたことも

入社3年目にさしかかり、起業したり、独立する友人がちらほら出てきていて、「このままじゃダメだ」との危機感が芽生えます。そんな、モヤモヤしていた時期にヘッドハンティングされたのが現職の会社でした。それまでも投資ファンドなど複数の企業から誘いはありましたが、全て断っていました。ただ、今回は現状に悩み始めていた時期でタイミングが良かったんです。


リクルートの方々は引き留めてくれました。昇進などの条件を提示されて役員と交渉する日々が3.4ヶ月ほど続き、決断したのは9月なのに最終出社日が決まったのは12月末です。感謝の気持ちがあったのでブレました。フラフラしていた僕を会社に迎え入れてくれた女性アドバイザーの方や、入社後に育ててくれた上司。それでも意志を貫きました。



-3社目-

「お客さんだけ見て仕事をしていいですよ」。そう言われたことが転職の決め手です。ノルマ達成のために嫌がるお客さんに押し売りしなければならないことが何度かあり、嫌で嫌で仕方なかった。が、そこは考えなくて良いと。お客さんに感謝されれば成立するし、自然と紹介もしてくれる。全て自分、結果次第。結果を出せば出すだけ報酬をもらえるシステムはたしかに刺さりました。でもそれだけじゃない。誇りを持って、堂々と営業ができる。その言葉を聞いた時に、「ここだ!」と確信したんです。

17年1月から現場へ出るもいきなり〝挫折〟を味わいます。転職前、リクルートの同僚たちは皆、「(営業に)来て下さいね!」と言ってくれていたのですが、いざ行くと誰ひとり話すら聞いてくれなかったんです。「人生の通信簿が分かる」。そう、上司に言われました。これまでの関係性がホンモノだったかどうかが分かる、と。友達だから、家族だから、元同僚だからと言って話を聞いてくれるわけじゃない。むしろ大半の人に嫌がられるのが金融機関の営業です。


そこからは信頼をゼロから作っていきました。名前だけ知っているような人に電話したり、前々職の人に連絡を取ったり、深い関係ではない人の結婚式の二次会に顔を出したり。そんな日々の中で気が付きます。マネーモチベーションも大事だけど、〝契約してくれた人の担当であり続けることが一番のミッション〟だと。僕の1人目のお客さんはネット広告会社を経営する古くからの親友でした。実績も何もないけど、僕と言う人間を信頼してくれていたから契約してくれた。まず考えるべきなのはお金じゃなく、信頼だった。



-とにかく伝えたい-

セールスマンシップに加えてスポーツマンシップも大事にしています。多くの営業マンはセールスマンシップしか持っていません。「今月あと1件でノルマ達成」という状況になれば、「頼むから入ってや」とお願いする。それはスポーツマンシップに反していますよね。


実際に僕にも好意で「契約するで」と言ってくれる友人がいました。正直、契約は欲しかったけど、「お前がほんまに大切やと思ったなら話を聞いてくれ。そうじゃないなら大丈夫」と言いました。そこを無視して好意だけで契約を取ってもその友人は幸せになれないから。守らなければいけない一線だと思っています。

こんなことがありました。知り合い夫婦の旦那さんが「契約したい」と言ってくれたけど奥さんは嫌がっていた。でも、実際に支払いが発生したとき、「私、お金が出るものと思ってなかったです。ありがとうございます」と言ってもらえた。それが嬉しくて嬉しくて。


まだまだ金融機関の商品に対して懐疑的な目を向ける人が多いです。だから、僕はこれから、保険を〝斜め〟から見ている人や、不信感を持っている人、確かな情報を知らない人にできるだけたくさんお会いして、その良さを伝えていきたいんです。


独立などは考えていません。契約してくれてるお客さんがいるから。それだけです。僕が辞めるということはお客さんを裏切ることになる。商談の際に「担当を続けていくので」と言っている以上、嘘付くことはできません。金銭的な目標はもちろんあるけど、一番は僕という存在を知っている全員に、話をしてあげたい。これから出会う方々はもちろんなのですが、地元や高校、前職など、過去に知り合った人にはほとんど話せていませんから。



-父の死-

現職に就き、改めて痛感しているのが「家族の大切さ」です。ありきたりなことですが、聞いてください。僕が23歳の時、親父が亡くなりました。小学生のときにはすでに離婚していて、母子家庭で育ちました。母親が借金を建て替えさせられていたこともあり、大人になってもずっと親父が嫌いでした。訃報を聞いたときは社会人1年目で仕事の関係で鳥取に居て。電話で知らせてくれた兄には「俺は関係ない」と言いましたが、電話の奥でおかんが泣いていました。血縁者だから、遺体の見つかった北海道に、母と3人で会いにいくことに決めました。


小さな霊安室で袋に包まれた親父がいました。〝会う〟のは高校3年の夏以来だったけど親の遺体を見るのはやっぱりショックで、自然と涙が出ました。「会っていれば良かった」とは思わなかったけど、火葬場に行ったとき、親父、おかん、兄の3人で写っている写真を見たんです。しかもかなり最近に撮られたモノでした。


僕がずっと「嫌い」「会いたくない」と言っていたから、おかんが気を遣って、会わせないようにしてくれていたと思うんです。それを見た時には涙が止まらなくなりました。親父に申し訳ない、何より、『おかんに申し訳ない』と。僕は嫌いだったけど親父からしてみればみんな家族だった。


最後に会ったのは高校3年のときでした。10年ぶりくらいだったけどすぐに分かりました。3人で食事をして、「どこ住んでんの」「またご飯食べに行こうや」と会話しましたが、内心はムカついていた。それが親父との最後の会話です。そういう経験をしたからこそ、「家族を大切に」と胸に刻んでいますし、お客さんをはじめ、出会う方々にも伝えています。



-頑張らない人間にはなりたくない!-

「頑張っても頑張らなくても
変わらない環境なら人は頑張れない」

この言葉を人生の指針にしています。現職のオフィスに掲載されてあり、心を打たれました。僕の場合は、リクルートで一番の成績を残しても給料が大きく変わらない問題に直面した。ずっとそこに居ると「頑張らない人間」になってしまう。そう感じたから転職したわけです。「照井さんはなぜそんなに努力できるんですか?」と聞かれることがありますが、決まって先ほどの言葉を返します。


ー第2回につづくー


取材・編集:巻木 周平(マキギ)