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24歳サラリーマンが、挑戦を続ける人たちの『イケてる』人生を掘り下げ、伝える、インタビューブログです。

-カムネッツ・逸崎 友誠-



-カムネッツ・逸崎 友誠-

祖父が創業した、歯科材料・歯科医療器具の製造、輸入、通信販売を行う「株式会社 カムネッツ」の営業部で働いています。

ほんの3年前まで野球漬けの人生を送ってきて、高校時代には日本代表に選ばれた経験もありますが、小さい頃から今でもずっと憧れている祖父の背中を追い越したいという思いがあり、この道を選択しました。


逸崎 友誠(いつざき ゆうせい)/1995年生まれ/高知・明徳義塾夏の甲子園に2度出場し、高校日本代表入り。大学2年で野球を引退し、3年春から語学留学。2018年4月から株式会社カムネッツへ入社。




-「プロになりたいと思わなかった」-

小学4年から野球をはじめ、高校時代には高知・明徳義塾で甲子園に2度出場しました。中学時代から「寮生活がしたい」と思っていて、大阪桐蔭に行きたかったけど、熱烈なオファーを受けたわけではなかった。だから、本気で求められている環境に進もうと思い、高知県に渡りました。


2012.13年の夏の甲子園に出場。

1年秋から少しづつ、試合に出始め、2年夏の決勝戦では甲子園を決めるサヨナラタイムリーを打つことができました。そして、3年時にはキャプテンとして夏の甲子園に。

高知大会4連覇がかかっていた年でもの凄いプレッシャーでしたが、なんとか乗り越えることができ、高校日本代表にも選出されました。

ただ、不思議なことに「プロ野球選手になりたい!」と当時は思っていなかったんです。小さい頃は夢の1つでしたが、高校時代には、その気持ちが無くなっていました。


2013年には日本代表に選出。



-「普通」が嫌だった-

それは、祖父の存在があまりにも偉大だったから。小さい頃、当時すでに会社を経営していた祖父の話を聞くのがものすごくおもしろかったんです。学校の先生をはじめ、他の大人とは全然違った。なかでも記憶に深く残っているのが、この言葉です。

「普通の行動をしていても、
普通の人間にしかなられへんぞ」

世間の言う、「普通の人間」になりたくないのなら人とは違う努力をしないといけない。人と違う道を歩まないといけない。肝に命じてきたその考え方が爆発したのは大学2年の時でした。

1年春から試合に出始め、秋にはレギュラーになったものの、「このまま周りと同じように野球をしていて大丈夫なのか?」「環境を変えるべきではないか?」と思うようになったんです。

ちょうどその頃、ある先輩に出会いました。同じ大学野球部の山岸さんです。山岸さんは一度野球を休部して、海外留学に行っていた。僕が1年の夏頃に野球部に帰ってこられて、仲良くしていただく中で、山岸さんの人柄や考え方がすごいなと思い、尊敬していたんです。留学していた事を知らなかったけど、仲良くしているうちに知り、話を聞かせてもらいました。

「勉強になった」
「世界観が広がった」
「考え方が変わった」

実は留学したいという思いはどこかで持っていたんです。祖父も「経験した方が良い」という考えだったし、何より当時は明確な目標が無かった。野球で生きていくわけでもないし、これといった、なりたい職業も無かった。

ぼんやり「社長になりたいなあ」と思っていたくらいでした。そんな時に山岸さんから留学の体験談を聞いた。人間として尊敬する先輩が人生の財産にしているこの体験を、自分も早く経験したい! 密かに持っていた思いが、膨れ上がっていきました。



-自分の道は自分で決める-

2年秋で野球に区切りをつけようと決めました。もちろん色んな人に相談したし、家族には「4年間頑張ってほしい」と言われたけど、自分の人生は自分で決めるもの。

自分のやりたいことがしたい、と説得しました。2年の秋に野球部を退部し、まずは英会話教室に通って基礎を学び、3年の3月から、ロサンゼルスに渡りました。

基礎を学んでいたとはいえ、現地に行った当初はほとんど聞き取れませんでした。ホームステイ先のおばあさんから説明を受けたけど、「シャワーは1日1回」「近くにマクドナルドがある」。

この2つしか理解できなかった(笑)。幸い、同じ家にスイス人の同級生が入ってきて、彼が親切に教えてくれたおかげで少しずつ学んでいきました。

語学学校に日本人が数人、いましたが、ほとんど外国人。そんな環境だから、習得のペースは早かった。自分では気付いていなかったけど、4ヶ月の留学期間を終えて帰国すると「早いな!」と驚かれました。日常会話ならスムーズに話せますし、海外旅行は1人でストレスなく行けるレベルです。

英語を使えるようになった事はもちろん、考え方の違いを直に体験できたのが本当に良かったですね。壮大で寛大。

細かいことは気にせず、物事を大きく捉えて、行動を選択していく。ものすごく視野が広がりました。何度も言いますが、本当に行って良かったです。



-今しかできないことは何?-

帰国後ほどなくして就職活動をはじめます。コンサルティング業界に興味を持っていたので、関連企業の説明会やインターンに参加しました。そのなかで、大学時代にお世話になった山岸さんが働いている「船井総研」を受けることに決めました。

山岸さんも僕と同じく親族に経営者がいて、それまで色んな話を聞かせてもらい、考え方、人間性を心から尊敬していました。だから、「一緒に働きたい!」と。が...、最終面接の直前まで進んだものの、不採用という結果に終わります。

相当落ち込みましたが、何もしないわけにはいかない。その後は「投資」にのめり込みます。20代の若者が投資って聞こえが悪いけど、仲間と本気で勉強して、本気で取り組みました。

バイトなどで貯めたお金を全て使い、徹底的にやりました。FXやバイナリー、仮想通貨取引、海外ファンドから不動産まで。徹底的にやり込んで、結果を出して、1年もしないうちに投資だけで生きていけるまでになりました。

その過程で多くの人と繋がって、「起業したい」と思うようになりました。仲間たちも「友誠がやるなら付いていく」と言ってくれていた。ただ...。モヤモヤがあったんです。それは、祖父の存在です。

このまま投資などの仕事を続けても良いけど、いつか、祖父の会社に入って背中を追いかけたいという気持ちはずーっと持っていました。当時、僕は大学4年生。人生の選択を迫られている時期で、たくさんの人に相談しました。

「今しかできない事を優先した方が良い」

そう言ってくれた人がいました。祖父は現在83歳。会長として現場に携わってはいるけど、先が長いかと言われればそうじゃない。なら、祖父が元気なうちに、ノウハウや考え方を間近で盗みたいと思ったんです。

この言葉が決定打となり、「カムネッツ」への入社を決めました。営業部門が新たに立ち上がることは決まっていて、僕が入ればそこに配属されることも分かっていた。この年齢で新規事業に携われるなんて、そうできる経験じゃありません。



-世界のカムネッツに-

誤解のないように言っておくと、会長の孫とは言え、普通の新入社員として働いています。「カムネッツ」は、歯科材料、歯科医療器具などを取り扱う会社。祖父が、初めに立ち上げた歯科器具メーカーを売却して、通販会社として2001年に設立しました。

日本だけでなく、海外の商品やOEM仕入れてネットで販売。また、オリジナル商品の開発を行う製造部門もある。僕はその会社の新規事業のとして、歯科医、歯科技工所に自社製品を売る営業部門の立ち上げに携わっています。

ジルコニア」、「レジンブロック」という2種類の歯科材料を売り込むのがミッションです。新規開拓がメインですから連日の飛び込み営業で、チームは5人。うち3人が新入社員です。そのうち2人は、学生時代に共に投資で成功した仲間なんですよ。

起業を断念した時にカムネッツの事を話したら、「一緒にやりたい」と言ってくれたんです。その2人を含めた最高のチームで、日々、地域を絞り込むなど自分たちで戦略を立てて、活動しています。

何も知らない世界で、一から勉強して、一から知識を叩き込んで、新規のお客様にアタックして、興味を持ってくれて、買ってくれるかどうか。その過程全てにやりがいを感じています。

お客様と言っても、歯科医、歯科技工士と、プロが相手。商品に関してお客様の方が詳しかったりするので、ハードルは高い。ただ、カムネッツの商品の品質の高さは業界内で有名ですから、あとは自分という人間をどう売り込んでいくかが勝負でもあります。

全く知らなかった業界ですが、やってみたらおもしろいですよ。知らない事を知れる喜びもありますし。今はただの新入社員ですが、将来はトップに立ってやっていくんだ、という気持ちは常に持って仕事しています。

会長の孫だからと言って、流れでトップになれるほど甘い訳がない。とにかく結果を出して、実力をつけていきたい。

まずは大阪で数字を作り、その後は東京に進出したいと思っています。そして、いずれは海外も...。本気です。新しいモノからどんどん売れていく業界ですから、販売力と同時に、研究開発も伸ばしていかないといけない。

僕が作るわけじゃないけど、上手く連携を取りながら、カムネッツの商品を世界に広めたい。世界です。世界を開拓するのが夢です。世界の「カムネッツ」にしてみせます。(終わり)


取材・編集:巻木 周平(マキギ)