イケてる.com

24歳サラリーマンが、挑戦を続ける人たちの『イケてる』人生を掘り下げ、伝える、インタビューブログです。

-ジャーナリスト・笹野結衣-


-ジャーナリスト・笹野結衣-

幼少時代は、友達の影響で始めた新体操とダンスに明け暮れていました。小学校高学年になると新体操を本格的に取り組みはじめ、大会に出ることも。いわゆる普通に遊ぶ時間はほとんどなかったと思います。当時から自然と「表現者になりたい!」という夢を持つようになりました。明確な職業はなかったけど、とにかく、何かを『表現する人になりたい』と。


笹野 結衣(ささの ゆい)/1997年生まれ。名古屋生まれ横浜育ち。幼少期から持つ『表現者になりたい!』という夢に向かい、15歳からジャーナリストとして独立。



-100社に体当たり-

中学1年の頃、心身ともに病んだ時期がありました。栄養が吸収できなくなる症状で、入院して、学校に行けなくなりました。勉強が嫌いなわけではなかったので自宅で勉強していて、15歳の時に「心理カウンセラー」の資格を取りました。日本の心理カウンセリングは生活や仕事に病んだ人が受けるのですが、海外では「人生を良くするために」受けるのが一般的。 で、小さな悩みでも放っておかずに相談に行くんです。学校ではなく、そういった勉強に力を入れていました。


女性起業家のセミナーに参加したことが現在の職業に至るきっかけです。『女性の社会進出』がテーマのセミナーでたくさんの人と出会いました。実際にビジネス展開している人や、少し怪しい人も(笑)。そこで、主に美容系の記事を書いているジャーナリストの方が登壇していたんです。あまり興味のある業界じゃなかったけど文章を書くことは好きでした。


小学生の時の作文コンクールで表彰されたことがあり、自信があった。当時はとにかく「何かを始めたい!」との思いが強かったため、登壇者に話を聞きにいき、ジャーナリストとして仕事を探すことにしました。文章を書く、作るというのは『表現』の1つの手段ですから。

実績が全く無いため仕事を探すところからスタートです。まずは出版社。各雑誌ごとにライターを募集していたので片っ端から電話をかけて、プレゼンして、「雇ってください!」と100社以上に体当たりしました。ただ、当時まだ16歳で年齢的な問題から仕事を任せてくれなかった。結局、仕事をもらえた雑誌はたった2社で、美容系の情報サイトが1つだけ。それでも自分から『やりたい!』と思って始めた仕事ですから心が折れることはありません。。


当時は中学3年生。出席日数の関係で通信制高校しか行けないことが分かっていたし、大学への進学願望も無かったから、高校には進まず、ジャーナリストとして生きていくことに決めましたそれだけでは食べていけませんから、多くの記事を書いて名前を売り、仕事の範囲を広げていきたかった。けど...。大半の記事に名前を乗せてもらえなかったんです。


いわゆる「ゴーストライター」。なぜかというと、たとえば読者が30代なのに筆者が10代の女の子だと説得力が無いんですよね。そんな環境では、自分が本当に得たいモノ、やりたいコトができなかった。レストランの記事を書くことがあったけど、指定された内容を構成するだけで、オリジナルは出せない。インタビュー記事もそうです。取材対象は企業から指定された人ばかりで心から尊敬している人ばかりではなかった。



-3日で辞める勇気-

とはいえ全てが嫌だったわけではありません。自分に無い考えを持っている人の取材は楽しかったし、インタビューのノウハウも得られた。相手の下手に出て機嫌をとるようなスタイルだったけど、「好かれたいわけじゃないよね」と気付き、相手を選ぶようにもなりました。


「相手に好かれないとやっていけないのがジャーナリストなら出来なくて良いや!」と開き直り、本当に興味を持てた人や企業さんに絞りました。「仕事が減るかも」という怖さはありましたけど、正反対。本音で取り組むから質が上がったのか、以前よりもはかどりましたよ。


英語を学びたい思いがありました。英語圏で生活をして、人脈、人間関係を作りたい、と。きっかけはカナダで6年間生活した友人の存在です。海外に行ったことがない人とその友人を比べた時に、価値観や視野の広さが全く違った。私もその「広さ」が欲しいなと思ったんです。


18歳になり、独学で文法を中心に勉強を始めて19歳でカナダへの留学を決意します。突然でしたから家族に心配されることは分かっていましたから、「英語の勉強に行く」という目的を明確にするために語学学校へ行くことに。ただ、それがまさかの1週間で辞めることになります(笑)。

語学学校にはカナダ人が居ないんです。私と同じように勉強に来たアジアの人しかいなくて、「意味がないな」と(笑)。最初の2日間で完全に通う気を失くしました。目的は英語で喋れるようになることなのに、このままでは「学校で使う英語」が上手くなるだけで英語を喋れるようになるわけではありません。


学費は半分しか返ってこなかったけどすぐに辞めました。「もったいない」と思う人がいるかもしれませんが、「何のためにカナダに来たのか」と考えれば決断に迷いは生まれませんでした。その後は、個人で英語の先生を雇い、毎日ネイディブと会話しなければならない環境を作ったんです。


音楽にも手を伸ばしました。ボイストレーニングやギター、また、英語の先生がレコーディングスタジオとつながりを持っていて、「一緒に来る?」と誘ってもらったんです。そこでは作詞・作曲を手伝わせてもらったり、「表現者になりたい」夢に近づく活動ができました。自分の思いや言葉を表現するのはやっぱり楽しかった。そんな生活をしているとあっという間に半年が終わります。かけがえのない経験になったことは言うまでもありません。

ジャーナリストの仕事を再開するのですが、ある出会いを機に取材対象が大きく変わります。その方は世の中を良くするために活動する企業や技術を取材していた。経済界と関係の深い会社を紹介してもらい、同様の取材活動をさせていただくことになりました。主な相手はスタートアップで取材だけでなく企業の広報活動を任されることも。


人手不足なことが多いため、私が代わりにイベントに行きコネクションを作る、というような仕事もしています。たとえば今流行りの「〇〇テック系」のイベントに顔を出し、自社とマッチしそうだなと思う企業があればアプローチして、話して、つなげる。文章を書くことはもちろん、人と話すことも大好きなのですごくやりがいを感じています。あと、作詞、作曲をはじめ音楽関連の仕事も少しずつですが続けていますよ。




-やりたい事で溢れてる!-

音楽の仕事にはすごく楽しくて、ずっと携わっていたい。あとは、自分のメディアを持って好きなように情報発信したい。歌も習ってはいますが披露するほどの自信はないかな...(笑)。あもっと英語は上達したいのでアメリカの大学に行きたい気持ちもあるんです。高校卒業の資格を持っていないから、本当に行きたくなったら資格を取ろうとも思っています。ん~。30代くらいかな。やりたい事だらけです!(笑)

元々ネガティブだった性格が変わったのは15歳の時に読んだ自己啓発本がきっかけ。「ザ・シークレット」。賛否両論ある作品なのですが印象深いです。その他にもたくさんの本を読んで考え方が変わりました。「自分の考えが人生を作る」「自分で責任を持つのが人生だから、やりたいことをとことんやった方がいい」と思うように。強くなりました。病気だった自分を「可哀そう」と思う子供でしたが、嘆いても誰のせいにもできない。結局、自分次第です。



-メッセージ-

「◯年後にこうなりたい!」という目標を持って行動計画を立てるといい。必ず反対する人が出てくるんですけど、「私の人生だ!」と思って生きてきました。周りの反対意見で行動を止めてしまう人は、『今の反応』より、『3年後の反応』を選んでほしい。受け入れられなくても良い。やりたい事を貫いて結果が出た時の周りの反応を考えてほしいです。反対を言い訳にして逃げていたらそのツケは将来、絶対に返ってくるし、親の言う通りに生きても親が亡くなった時に絶対に後悔します。数年後の自分のために、行動してほしいと思います。

(終わり)

取材・編集:巻木 周平(マキギ)

-BAR経営者・山根大輝-


-BAR経営・山根大輝-

小学1年からソフトボールを初め中学から野球。当時は「自分が一番上手い」と思っていて自信満々で名門の大阪桐蔭に進みましたが、同学年のプレーのレベルの高さに驚きました。「レギュラーになるのは難しいんじゃないか...」。今まで味わったことのない感覚でした。ただ、入部した以上は諦めるわけにはいかない。「このまま終わっていいのか」と自分に言い聞かせてベンチメンバーに入ることを目標にしました。


山根 大輝(やまね だいき)/1993年生まれ。人材派遣会社を半年で退社し、フリーの営業や、バーでのバイトを経て、大阪・北新地でバー『ROI(ロワ)』を共同経営。


その時に心の扉みたいなのが開きましたね。それまでは人の意見を取り入れたりしなかったのですが本気で人の事を考えるようになったし、相手の気持ちを読んだり、「このチームで何を求められているのか」と考えるようになりました。レベルの高いメンバーの中でチームに必要な人間にならないといけない。「何ができるか」を考えて行き着いたのが「声」でした。

キャッチャーだったのでブルペンで誰よりも声を出し、ピッチャーのことを研究して。当時は藤浪(晋太郎 現・阪神タイガース)を始めすごい投手がたくさんいたなかで信頼を得るために努力しました。結果、2年秋には目標のベンチ入りができ、翌春の近畿大会ではホームランを打てた。最後の夏は甲子園に行けなかったけどあの時の経験は間違いなく人生にいきています。



-本当にやりたいことは?-

同じく野球部に所属した大学時代。当時から、「経営者になりたい」「独立したい」という思いはあったのですがとりあえず周りと同じように就職活動をしました。保険、不動産、銀行などの大手企業から内定を頂いたきましたが、結局、入社したのは人材系。就活中に相談を受けてくれていた社長さんの会社でした。

人事系の部署に配属されて東京本社勤務。数百人規模の入社式で代表挨拶もさせてもらって、当時はすごくヤル気でしたね。その後、名古屋転勤を経験するのですが、日が経つに連れて「これでいいのかな?」と思うようになりました。お金、時間。自分が本当にしたい生活じゃないな、と感じるようになりました。


大学時代から、「一緒にやりたいな」と話していた将伍という友人がいました。将伍も当時は大阪勤務のサラリーマン。お互い働きながら将来について話し合っているうちに「飲食系がしたい!」と意見が一致しました。そうなると、仕事に手がつかなくなります。「このまま続ける意味はないかな」と思い、すぐに上司に辞める意思を伝えました。全力で止められましたが決めたら曲げない性格。腹は決まっていました。


当然、家族にも反対されます。特に親父にはめちゃめちゃ言われましたけど、ブレない思いを伝えていくうちに「こいつ、本気やな」と思ってくれた。外資系企業で活躍している親戚には「どういう理由で飲食なんや」とか、「その後はどうするんや」とかこと細かく聞かれましたけど振り切りました。一度決めたら曲げない。心の中で「黙っとけ」って思ってましたね(笑)。そのまま退社し、自分たちの店を持つための活動を始めます。



-ROI-

「飲食がしたい!」と思って簡単に店が手に入るわけがない。大阪でいろんな人に話を聞いて回りました。そんななか「うちの会社の商品、営業したら?」と言ってくれる人がいたんです。目標は飲食だけど初期費用は必要ですから「お金を作るためなら」と思って始めました。けど、すぐに気付きます。「飲食系で独立したいのに、営業?」「何か違くないか?」って。


昼は営業で働きつつ、夜は2つのバーでバイトする生活をはじめました。そのうちの1つが後に経営することになる「ROI(ロワ)」です。夜の業界で出会う色々な人に「独立したいんです!」という話をしていると「〇〇で店舗が空くからそこでやってみない?」みたいな話がいっぱいあるんですが、「雇われ店長」のような話が多くて。自分の力でやりたいのにそれは違うかな、と。どうやって独立しようかとばかり考えていました。


思ってもないチャンスでした。「ROI(ロワ)」のマスターが辞めることになっただけでなく、本来、引き継ぐ予定だった人の都合が付かなくなって「お前、やりたいんちゃうんか?」と言ってもらったんです。お客さんを呼ぶ力を評価してくれていたみたいてで、「お前ならできる」と言ってくれたので即決しました。その話をすぐに友人の将伍に話して「一緒にやるぞ!」と。社会人2年目になる17年の4月。ついに、自分たちの店をオープンすることができました。

自分の店を持って感じているのは人の暖かさです。友達が来てくれることはもちろん、知り合いを紹介してくれるんです。見返りはないはずなのに。その時に「やって良かった!」と心の底から思いますね。特に、サラリーマン時代の同僚や上司の人が来てくれることもあって、本当に最高です。あとは、お金の面もそうですし、時間も自由に使えようになりました。これからはもっともっとお客さんに来てもらい、楽しんでもらうために、「忘れられない存在」になりたいと思っています。


これから先、どう展開していくか。それはまだ描けていないのが本音です。叶えられそうな範囲では、もう1店舗出したり、ご飯屋さんわ出したりと、その辺りまではイメージできます。その先は正直わからない。ネットなのか、投資なのか、いろいろ興味はあるけど最終的に「こうなっていたい!」というのはまだ不透明です。ただ、1つ言えることはお金は稼がないといけないということ。「お金、お金」と言ってアレですけど....。でも、周りの人を幸せにしたりチャレンジするには必要ですから。




-メッセージ-

誰しも「こんなことがしたい!」という気持ちはあるけど周りの人に反対されて諦める人が多い。ただ、成功している経営者を見ても、はじめは反対されてきた人が圧倒的に多いです。いかに一歩目を踏み出せるかが大事。行動しないのは言い訳だと思っています。例えば「結婚してるから」とか「子供がいるから」とか言う人がいるけど、それすら言い訳と思う。本気でやりたいなら何かを捨ててでもやるべきだし、正解は誰にも分からない。やりたい!と思った時に、すぐ行動することが大事だと思います。

(終わり)

取材・構成:巻木 周平(マキギ)