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24歳サラリーマンが、挑戦を続ける人たちの『イケてる』人生を掘り下げ、伝える、インタビューブログです。

-キックボクサー・上田 誠也-


-キックボクサー・上田誠也-

戦う人への憧れ、そして、「強くなりたい」という思いを小さい頃から持っていました。そんな僕の目に飛び込んできたのは、魔娑斗や山本KIDといった、「K-1」を盛り上げていた人たち。当時は地上波テレビで放送されていて、年末になるとテレビにかじりついていました。ヘビー級と違い、スピードの詰まった戦いがカッコよくて。「俺も出たい!」と思ったんです。


SEIYA(上田誠也・うえだせいや)/1996年生まれ/キックボクサー/「MAD MAX ジム」所属/小学2年で空手を初め、キックボクサーに転身。


はじめて格闘技に触れたのは小学2年生の時でした。近所にある空手道場の見学に行ったのですが、「ノンコンタクトルール」。いわゆる〝寸止め空手〟だったんです。殴り合いがしたかった自分には響かず、入門しませんでした。


魔裟斗vs山本〝KID〟徳郁

その時ちょうど、同じサッカーチームの友達が極真空手系の道場に通っていると知り、見学に行くと、まさに求めていたモノだった。殴って、蹴って。空手には色んな流派があるのですが、「これだ!」と思ったんです。




-キックボクシング-

空手の通算成績は、優勝が30回、準優勝が11回、3位が9回。中学3年までの成績です。なかには全国大会も含まれています。

流派によって大会が分かれるため一概には言えませんが、「日本一」の称号は10回弱、手にしました。心の底から好きな競技で、ある程度の結果を残すことができていた当時は相当、楽しかったですよ。


(獲得した大量のトロフィー)

14歳の時に空手と並行してキックボクシングジムに通い始めていました。最初は軽い気持ちだったのですがアマチュアの試合に計3試合、出ると、「プロとして試合してみないか」と誘いを受けたんです。

16歳の時。そのまま空手の道を極めるという選択肢もありましたが、本来の夢であった「K-1」に近いのはキックボクシングだと思った。オファーを受けて、プロデビューを決意しました。



-K-1

ちょうどその頃、K-1界はバタバタしていて、グランプリが開催されない年などもありました(2011年)。でも、僕がキックボクシングのプロとして3試合を終えた頃に「新生K-1」が立ち上がったんです。

目標を失いかけていました。格闘技に対する気持ちが中途半端になることも正直ありました。でも、本来の夢だったK-1が復活して、さらに、大阪にジムができたんです。迷わず移籍することに決めました。

キックボクサーとしての初戦は「Krush(クラッシュ)」の名古屋大会で、KO勝ちすることができました。


初勝利時の写真(krush)

試合内容、勝ち方が評価されて2戦目は格上の選手と対戦するも、負けてしまいます。その後も試合を重ねて2勝2敗となったところで、ある決断をします。それは、東京のジムに移籍することです。20歳の時でした。

現状を変えたかったんです。大阪には練習相手や指導者が少なかった。一方で、東京には、強豪選手と一緒に練習できたり、一流と呼ばれる指導者の教えを受けられる環境がありました。

入ったばかりの大学をすぐに辞めて、バイトも辞めて、決断した1週間後には東京に飛び込んでいました。このまま留まるくらいならチャレンジをした方が良い、と。



-こんなもんじゃない-

想像していた通りレベルの高い環境で練習ができたし、実戦経験を積むこともできました。K-1の前座に出て勝利したり、中国での試合では明らかなアウェー判定を受けたこともありました。どれも大きな経験です。

勝った時の周りの人の反応は、何にも代えがたい喜びを感じます。「誠也の試合を見に来てよかった!」と言ってくれたり、思ってもらえるのが何より嬉しいですね。やってきて良かったと、心の底から思います。

ただ...。皆が喜んでくれる試合でも、自分にとっては満足できない試合ばかり。「こんなものじゃないのにな...」と思っています。それが、努力を続けられる原動力でもあります。「次はもっと良いモノを見せなあかん!」と思えるし、こんな情けない試合でも喜んでくれるなら、理想の勝ち方ができればもっともっと楽しませられるはずだ、と思うんです。

現在の拠点は大阪。年数回の試合に備えて練習しながら、2つの飲食店でのアルバイトと、障害を持つ小学生のお世話をする「放課後デイサービス」というアルバイトをしています。計3つ、かけもちです。

格闘技だけで食っていくには頂点に立たないといけない。そのために日々、微調整の連続です。試合ごとにいろんな課題が生まれますから、練習の大半の時間をその修正に使います。

ポイントを踏まえて次の試合にどう組み立てていくか。そこにプラスして、試合を通じて動ける体力を付けていく。それらが今の課題です。



-証明したい-

今までめちゃくちゃな人生を送ってきました。格闘技に対しての気持ちがブレた事は一度や二度じゃありません。ヤンチャして、格闘技の道から逸れた事もあります。

それでもいまこうやって、周りの人に支えられながら、「世界チャンピオン」という夢を思い出して、突き進んでいます。だから、証明したい。どれだけ道を逸れても夢さえ持っていれば人間は頑張れるんだと、証明したいんです。

そのためには結果が一番。とにかく、「世界チャンピオン」になりたい。いや、なります。その夢は小さい頃からずっと変わりません。

夢はデカく持ったもん勝ちやと思うんです。その気持ちが強ければ強いほど理想に近づけると思うし、たとえそれが叶わなかったとしても、得るモノが必ずある。訪れる困難に立ち向かった事実が財産になります。

そういう意味では、挑戦することにマイナスは無いかもしれませんね。プラスでしかない。だから、夢を大きく持ち続けて、いつまでも挑戦を続けていきます。




-人生観-

やりたい事だけで生きていくにはリスクがあります。ただ、その選択をすることによって、1つの事を突き詰める覚悟が生まれるんです。

たとえば嫌な仕事をモヤモヤしながらやると、自分にも、周りにもマイナスだと思う。だったら、前向きになれる、自分が本当に好きな事にとことん力を注ぐべきだと思います。

僕の場合はそれが格闘技だった。だから、毎日、刺激を感じながら生きることができいるし、その刺激があるから「頑張ろう!」と思えるし、「世界チャンピオンになりたい!」という明確な目標があるから、現状に満足せず、常に上を目指して生活ができています。



-不満のある現状から
抜け出せない人へのメッセージ-

選択肢はいくらでもあるので現状に不満があるなら今すぐ変えるべきだと思います。視野を広く持っていろんな事に挑戦してみる。

僕は小さい頃から好奇心が旺盛でした。サッカー、バスケ、野球、卓球、書道にギター。とにかくいろんな事を経験して、本当にやりたい事は何か?と考えていましたね。その中で残ったのが格闘技だった。それは人によって違うと思うので、いろんなモノを見て、体験すれば、新しい自分に出会えると思うんです。(終わり)

取材・編集:巻木 周平(マキギ)