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24歳サラリーマンが、挑戦を続ける人たちの『イケてる』人生を掘り下げ、伝える、インタビューブログです。

お金がもらえなくても続ける仕事?『照井 秀芳』②


-まさかの選手兼監督-

父親が少年サッカーチームの監督で兄もサッカー少年。そんな家庭に産まれたものの、僕は野球が大好きでした。小学3年の時にこっそり少年野球の見学に行くと、「試合に出てくれ!」と言われ、ジャージ姿で出場したのを覚えています。夢はもちろんプロ野球選手。「俺がなれないなら他の奴がなれるワケがない!」。そう思っていたくらい自信がありました。


照井 秀芳(てるい ひでよし)/1989年生まれ/「頑張れない環境に居たくない!」との信念から2度の転職を経て、17年1月から外資系金融機関の営業マンに/全2回連載

ー第①回はこちらー




母子家庭だったことから、学費が免除される、かつ、甲子園に行ける高校を探しましたが条件に合う環境はなかなか見つかりません。そんななか、中学1年の頃からずっと声をかけてくれていた鹿児島の神村学園が、創部2年目にして秋の鹿児島大会で優勝したんです。それまでは全く知らない学校で、進路として考えてもいなかった。それが、九州大会ベスト4に入り、甲子園出場を決めた。「これは...」。ものすごい可能性を感じ、神村学園への進学を決めました。

めちゃくちゃ厳しい環境でした。先輩のマッサージをしたり、キャッチボールは胸に投げないと捕ってくれなかったり。入部してすぐに〝イップス〟になりました(笑)。バッティングを評価されて1年の秋にピッチャー兼外野手としてベンチ入りするも、守るところがなくて。その頃から、「プロは無理かなあ」と思いはじめます。それでも母親に「野球を続けさせて良かった」と思わせたかったから、甲子園を目標にして頑張りました。

キャプテンとして迎えた2年の秋は九州大会まで勝ち進むも、監督が暴力行為で訴えられて1年間の謹慎処分を食らいます。コーチも辞め、野球経験のない副部長が監督になりました。試合前のシートノックはOBが打ち、試合中のサインを出すのはキャプテンの僕です。周りに周笑い者にされて、辛かったですね。

それでもオフシーズン(11月頃~)には関西から短期契約で指導に来てくれる方や、父兄の方々が助けてくれました。その間、監督役はずっと僕でした。4月にやっと新監督が就任し、これからだという時期に、僕は全治6ヶ月の手首骨折という大怪我をして試合に出られなくなりましたが、チームは夏の甲子園に創部以来初めて出場。自分が試合に出られず悔しい思いをしましたが、素晴らしい経験ができた思います。




-ビジネスマンとして生きていく-

大阪産業大学で野球を続けるも2年目で辞めることになります。高校と違ってゆるい雰囲気のなかで真剣に取り組むことができなかった。1年時の新人戦では3番バッターを任されたけど2年ではメンバーから外されて。練習に身が入っていなかったことに対して「もっとがんばれ」という指導者からのメッセージでしたが、そこまでして続ける気持ちにはなれなかった。いろんな人が止めてくれたけど、「プロになれないなら」と思っていたので退部を決めました。

その時、人生のスイッチが切り替わりました。野球で食べていけないことが決まったことで、「ビジネスマンとして生きていくんだ」と。そして、今に至ります。一般的な家庭環境ではなかったし、高校では挫折も栄光も経験しました。現職になってからは、本当に意味で「人との繋がり」の大切さを学んだ。紆余曲折ありましたが、全ての経験を糧にして、僕は胸を張って生きています。




-「ごめんな」-

学生時代を振り返って、思い出したことがあります。高校の時、監督がいなかったことから「キャプテンの俺がチームをまとめないと!」という気持ちが強すぎて、同級生から嫌われていました。最後の夏までの期間は骨折のせいで練習ができず、外から強い発言をしたり、怒ったり。やっぱり、同級生に偉そうに指摘されたら腹立ちますよね。

言い方も悪かったと思うし。現役時代はそれでよかったけど卒業してから飲み会や結婚式にも呼ばれなかったんです。逆に自分の結婚式も高校のメンバーは来ていません。高校の集まりは避けてきたし、後輩たちが甲子園に出ても、応援にすら行かなかったんです。それが...。

僕がいまの仕事に就いてしばらくしてから、「照井が頑張ってるらしい」と噂が回ったようで。勇気を出して、集まりに参加したんです。すると、みんなから「ごめんな」とか、「結婚式行ってやれなくてすまんな」と言われたんです。既婚者からは「話、聞かせてや」と金融系の相談をされることもありました。めちゃくちゃ嬉しかった。今まで、周りの人に好かれるような生き方をしてこなかったから。この仕事に就いて、本当に良かったと再認識しています。



-メッセージ-

学生時代にスポーツや勉強を必死にやってきたのに、社会に出た瞬間に守りに入る人が多いです。挑戦してきたはずなのに、給料をもらう立場になると守りに入る。

「今の仕事、
お金がもらえなくても続けますか?」。

そう聞きたいです。たとえば多くの銀行マンは「続けない」と言うでしょう。そんな仕事は今すぐ辞めた方が良い。はっきり言いますが、僕はやります。嘘でも何でもない。それは、明確なやりがい、生きがいがあるから。僕の場合はこの仕事だっただけで、人それぞれあるはずなんです。

そして、「お金がもらえないなら続けない」という人がなぜ辞めないのか理解できません。学生時代に打ち込んできたであろうスポーツや勉強は、お金なんてもらえないけど、頑張っていればプロになれるかも、良い大学に行けるかも、夢の仕事に就けるかも、という可能性を信じて努力してきたわけですよね。社会人になってなぜ、その思いを忘れてしまうのか。

飲みに出れば会社の愚痴を言う人ばかりです。でも、〝結果を出さないと食っていけない環境〟に身を置いていればそんな会話をしている暇がありません。人は弱い方に流される生き物ですから、意識の高い人と出会い、一緒に居ることが大事だと思います。劣等感を感じるかもしれないけど、その壁を乗り越えないと、胸を張って生きていけないと思います。

(終わり)

取材・編集:巻木 周平(マキギ)

ー第1回はこちらー