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24歳サラリーマンが、挑戦を続ける人たちの『イケてる』人生を掘り下げ、伝える、インタビューブログです。

-モデル・杉山由紀子-


-モデル・杉山由紀子-

フリーランスモデルとして活動を始めて今年で8年目。電車広告や、雑誌に掲載されるスチール(カメラ)撮影が主な仕事で、ドレスショーに出演することもあります。現場でご一緒した方々やアパレル関係者、またその知り合いの方々。たくさんの人たちのおかげで大好きなモデル業を続けられています。


杉山 由紀子(すぎやま ゆきこ)/1986年生まれ。高校2年から芸能界入りし、現在はフリーランスのモデルとして活動している。




-芸能界-

高校2年のときにスカウトされてエキストラの事務所に入ります。最初の仕事は「めざましテレビ」で〝目覚ましくんを出す〟こと。指定された手の動きを撮影してテレビで見ると、その手から「目覚ましくん」が出てくるように見える演出でした。テレビっ子だった私が、視聴者には分からない制作側を経験できた。最高に面白かったんです。純粋な好奇心、というか、「あのテレビに関われているんだ」って。

「芸能界で自分は何ができるのか」と考えるようになり、様々なレッスンを受けました。ウォーキング、ダンス、演技にボイトレ、写真の取られ方、などなど。自分の適正を知るためです。その中で一番向いていると自覚し、楽しかったのがウォーキングでした。これなら頑張れる!努力できる!と思ったんです。


小さい頃から引っ込み思案で、人前に立つのは嫌いだし、すぐに顔は赤くなる。レッスンも苦痛でした。ただ、「自分を変えたい!」という思いがあったから心は折れませんでした。内気な性格がコンプレックスでしたから。その点ウォーキングは、練習すればするほど上手くなるから自分を堂々と表現できる。ドレスショー、ファッションショーにも出演しました。当時は高校生でバスケ部に入りながらバイトもしていましたから、ウォーキングも習い事の延長という感覚。仕事と言えるほどではなかったですが、それでも、心の底から楽しかったです。




-父の死-

18才の時にお父さんが亡くなりました。1年前まで何ともなかったのにいきなり「肺ガン」と診断されて。しかも、余命半年です。会社の定期検診は毎年受けていて、前年は見つからなかったのに、末期の状態で発見された。手術をしても助からない状況。本当に急すぎて...。今でも悲しくて、つらくて、寂しい。『なぜ?』という思いもあります。


ただ、その父が私の人生を変えてくれたと思っています。どれだけ頑張っていたとしても、人生にはいつか終わりが来るんです。だったら、本当にやりたいことをしなきゃ損だと強く感じました。当時はまだ将来の夢が定まっていなかったけど、2つの決断をしました。モデルに挑戦すること。そして、好きなことを続けていけるように、健康について学べる大学に行くことです。

大学で健康関連の勉強をしながら、読者モデル、アパレルショップの店員も務めていました。周りが就職活動を始める3年生になり、今の生活を続けるか、一般企業に就職するかの選択を迫られるのですが、そこでも、〝お父さんが背中を押してくれた〟。


「人生一度きり。やりたいことやらないと」


私にとってそれはモデルだった。簡単な世界じゃないことは百も承知。同じようにモデルを目指す人はたくさんいるし、しかも、当時私は22歳です。早ければ中学生から人生をかけて経験を積んできた人がいる世界で、今から勝負できるのか。不安はありました。でも、自分の人生。この感情を我慢したら一生後悔すると思ったから、就職活動は一切しませんでした。




-もし、余命1週間なら?-

母からは反対されました。安定した人生を送ってくれると思っていたのにまさかの「就活しない」。お金もかかってますから、最初の反対具合は本当にすごかったです。でも、何度も言いますが、自分の人生。今やりたいことを全力でやっておかないと、たとえば病気になって1週間しか余命がないと知ったら、意地でもやりたいことをやるじゃないですか?じゃあ、今、やらないと。だっていつ死ぬかわからないんだから。そうしないと「生きてきた意味がない」。そう、母を説得しました。


スカウトしていただいた事務所に入ったのですが、芸能事務所には一般企業と違う点がたくさんあります。たとえば給料の流れ。事務所の前にクライアント、キャスティング会社が入るから、実際にいくら事務所に届いているのか分からないことがあるんですね。それで、「翌々月になっても給料が支払われない」という問題が起こった。30万円。「趣味でやってる訳じゃない」と意見しました。女の子は立場が弱いから、折れちゃって、我慢して頑張る子もいたんですけど、私は言いました。

「どうなってるんですか?」。そう言い続けたけど支払われなかったので、事務所を辞めてフリーランスになることを決断しました。ありがたい事に、現場でご一緒した方々、アパレル関係者、その知り合いの方々。たくさんの人たちのおかげで大好きなモデル業を続けられています。フリーになった当時は仕事が無くなるんじゃないかという不安もありました。でも、所属することのデメリットをすごく感じていたし、フリーなら自分で仕事を選べる。好きなことに時間を使える。今はすごく楽しいですよ。



-楽しくなけりゃ、人生じゃない-

これまで、モデルとして「〇〇に出たい!」という夢を持っていました。でも今は「常に楽しいと思える選択をしたい」。フリーランスには常に新しい出会いがあります。スタッフさん、モデルさん。毎回違うメンバーに刺激をもらえるなかで考え方が変わる。学びたいこと、好きなこと、やりたいことがどんどん見つかります。そうなった時に、いかにすぐに動けるかを大事にしていきたい。

モデル業以外にもやりたいことがあります。父が亡くなり、1人になった母親を見て、『自分が健康でも周りの人が健康じゃないと意味がない』と痛感しました。だから、大学で学んだ健康の知識を人に伝えていきたいと考えています。食事法やダイエット法。周りの人に健康になってもらいたい。それに、モデル業に活きる部分もありますから。



-メッセージ-

他人に行動を決められている人はもったいないと感じます。他人の目を気にして意見を変えてしまう人も、もったいない。それは「他人の人生を生きてる」ということです。その生活に誇りを持っているなら良いですが、職場や生活環境に愚痴を言う人が多いですよね。自分の人生を生きている人は、愚痴なんて言いません。


私は『人生一度きり』ということをリアルに体験しました。多くの人は時間は無限にあると思いこんでいて、大切なことを後回しにします。それは間違っている。私はその考えを決して忘れることなく、生きていきますよ。

(終わり)

取材・編集:巻木 周平(マキギ)