イケてる.com

24歳サラリーマンが、挑戦を続ける人たちの『イケてる』人生を掘り下げ、伝える、インタビューブログです。

-BAR経営者・吉田将伍-


-BAR経営者・吉田将伍-

小学4年の時に担任の先生から「遊ぶだけならバスケせえ」と言われたのがきっかけでバスケにハマりました。毎日怒られてるような子供でしたが、それがきっかけで変わったと思います。周りより少し上手で、中学、高校と続けることに。京都の東山高校にスポーツ推薦で進学し、2年生から試合に出て、3年生ではキャプテンに。全国的な強豪校で近畿大会2位という結果を残すことができました。


吉田 将伍(よしだ しょうご)/1994年生まれ。小学4年からバスケを始め、東山高校龍谷大学でともに主将。16年に化粧品会社で営業マンとして働き、17年4月から大阪・北新地でバー『ROI(ロワ)』を共同経営。


大学でもバスケを続けます。監督が居なかったので「キャプテン兼監督」という立ち位置で、高校の時に比べれば楽しくプレーした記憶があります。プロになりたいという思いは無くて、3年の秋頃から就職活動を始めました。志望業界はハッキリしていなかったけど、「いつか独立して金儲けしたいなあ」と思ってました。ヤラシイですけど(笑)。

社会経験だけ積めれば良いと思っていたので、「家が近い」という理由で地元の化粧品会社に就職しました。独立するにしても一回くらい社会人を経験しとかなあかんな、と。でも、実際にサラリーマンとして働いてみるとすぐに「違うな」と思い始めます。バカにしているわけではないけど、自分のやりたいことを考えるたびに「これ、意味あるのかな」と思うんですね。そんなに低い意識で働いて、お金をもらう事も嫌でした。楽しくもないし、「時間がもったいない」と思うようになりました。



-相方-

「いつか一緒に、何かやりたいな」。
そう話していたのが大学時代からの親友で、のちにバーを共同経営することになる大ちゃん(山根 大輝)です。大ちゃんも一度はサラリーマンを経験したけど半年で辞め、複数のバーでバイトしたりしながら独立できる道を探してくれていた。僕も働きながら大ちゃんと会う時間を作って話していくうちに「飲食系をやろう!」と方針が固まりました。

いくつか「やらないか」と話をいただくこともありましたが条件が合わず、なかなか決まらなかった。そんななか、大ちゃんがバイトしていた「ROI(ロワ)」のオーナーから「やらへんか?」と話をいただいて。経営方針は自分たちで決められるとのこと。場所も、いろんな人が集まる北新地。「こんなチャンスはない!」と思って即決しました。大ちゃんのおかげです。ずっと動いてくれていたおかげでチャンスが来たわけですから。



-〝雑音〟なんか聞こえない-

「ROI」を譲り受けた時に僕はまだサラリーマンだったのですぐに辞める意思を会社に伝えました。めちゃくちゃ反対されましたよ。会社はもちろん、家族関係はブーイングです(笑)。特に親父には「サラリーマンとして生きのが普通やろ!」とかなり怒られました。でも、思うわけです。「普通って何?」と。自分の選択が世間の「普通」と違っても、そんな事にとらわれたくない。自分のやりたい事をするのが人生ですから、反対意見なんて聞こえませんでした。3月に退社し、4月から「ROI」の経営がスタートです。

めちゃくちゃ楽しいです。休みは少ないし(日曜のみ)2日酔いの日も多いですけどやっぱり楽しい。一番は、元々は知らなかった友達同士が「ROI」という一つの空間で仲良くなっていくところを見た時です。なかなかできない経験です。知り合い同士が仲良くなって、知り合い同士が遊びに行って、また一緒に店に来てくれる。"俺がつなげた"は言い過ぎですけど(笑)。これから先それがビジネスに発展するかもしれないし。色んな面で、やりがいを感じてます。




-悪性リンパ腫-

まさかでした。オープンして5ヶ月が経った9月に首のリンパ節が腫れてきて、体調も少し悪くて...。病院なんか行ったことなかったけど、大ちゃんから勧められたので診察に行きました。「薬もらって、さっさと呑みに行こう」。と軽い気持ちでしたが、「大きい病院に行ってください」と言われた。再検査を受けると、「『悪性リンパ腫』です」って。


信じられる訳がない。「僕まだ、23ですよ。そんなことあるんですか?」って聞いたら「その可能性が高いです....」と。宣告された瞬間が一番しんどかったです。進行具合が分からなかったから、「もしかしたらこのまま...」とまで考えました。後日、手術すれば完治率約90%の「ステージ2」だと分かり、ホッとしたことを覚えています。

無事手術は成功し、約3週間で退院。しばらく自宅療養が続いたなかで自分の考え方が180度変わっていることに気付きます。これまでは「独立して他人と違う景色が見たい!」とか、「お金持ちになりたい!」と思っていたけど、ガンを経験してからは「やり残していることは何やろ。本当は何がしたいんやろ」と考えるようになりました。そこでふと、頭に浮かんだのは「社会貢献とか、人に役立つことがしたい」という思いでした。


世の中お金だけじゃない。誰かのためになりたい。それも、会社や組織に所属してじゃなく、自分の力で。まずは店の土台を作って自分達より若い子に引き継げるまで育てたい。その後は相談しながら方針を決めていきたいですが、最終的に僕は、「村」を作りたいと思ってるんです。本気です。

誰もが縛りのない生活ができる場所。
観光地として人がたくさん来てくれる場所。
しがらみのない環境で農業したり、学校を作ったり、マイペースに過ごせる場所です。

まだまだ構想段階ですけど、いま、出会える方々を大切にして、将来本当にやりたいことに、挑戦していきたいと思ってます。




-メッセージ-

偉そうなことは言えませんけど、僕は良い意味でも悪い意味でも、一度死にかけた。だから皆さんには「生きていれば何でもできる! 」と思ってほしいです。不安で最初の一歩を踏み出せない人が多いと思うけど、リスクを恐れず踏み出せば良い思う。僕も最初は周りの人に反対されましたけど今はめちゃくちゃ楽しいですよ。

(終わり)

取材・編集:巻木 周平(マキギ)